リアルで、優しく、美しい映画だった。
‟戦争”と‟広島”の話だ。
物語の舞台である広島県‟呉市”は、背後を山地に囲まれたすり鉢状の地形をしており、平坦部が極めて乏しいにもかかわらず、明治時代に軍港に指定されて以来人口が増加していった。山を切り、谷を開き、河川の流れを変えながら傾斜地に宅地が造成された。
学生時代、呉には何度も行った。
呉が一望できるワケアリ夜景スポット‟灰ヶ峰”には何度も先輩に連れて行ってもらった。
引っ越しのバイトでの自衛隊官舎の作業は毎回地獄だったし、民家は傾斜地に密集していたため道幅が狭く、坂や階段を往復しての作業は堪えたが楽しかった。
友達と島をツーリングしたのも、特産である‟カキ”の工場から届く潮と磯の匂いも良い思い出だ。
だから細部に至る呉特有の場景に感動した。
悲しくて
悲しくて
とても やりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も 続くのか
ザ・フォーク・クルセダーズは1968年に『イムジン川』を歌った。
‟イムジン川”とは、北朝鮮と韓国の軍事境界線に近いことから朝鮮半島の南北分断の悲劇の舞台として登場する実在の川だ。
その代わりに作曲されたのが『悲しくてやりきれない』だ。
『悲しくてやりきれない』は後年、奥田民生、PUSHIM、コトリンゴ らにカヴァーされる。
本作ではコトリンゴによるリアレンジが挿入歌として使用された。
これは主人公‟すず”の心の叫びだ。
歌詞とは対照的に優しく歌い上げられるこの曲は感受性を刺激する。
鑑賞前日に‟笑ってコラえて”で初の護衛艦の女性艦長‟大谷三穂”さんをみた。→HP
それで思い出したのが、大学1年の夏休みに海上自衛隊の姉がいる友達と呉にある‟海猿”の訓練シーンのロケ地を見に行ったことだ。
自分を映画館まで足を運ばせたのはそうした呉で経験した記憶と歴史および制作背景から感じ取れるアニメーションでこそ伝わる引力だ。
場内は老若男女で満席。上映中は笑い声や鼻をすする音で、感情を共有できる空間として徐々に組成していった。
オープニングからエンドロール、スクリーンへの映写が終了するまで退席者はいなかった。
場内にライトが点いた瞬間 「はぁ~」 と、感嘆の声が漏れた体験を生涯忘れることはないだろう。
多幸感に満ちた時間を過ごした。
「In This Corner of the World 」
‟対比”が描かれる。
対比により明確に浮かび上がる‟戦渦時の市井の人々”の存在感が、
リアル(日常的)で、
優しく(易しく)、
美しい(丁寧でおそろしい)。
‟人の営み”と同線上に在る‟暴力”。
‟それ”とは無関係な‟自然”。
印象的で考えさせられる情報がセリフと共に含まれる。その量は一コマにしてはあまりにも多い。
物語の序盤は主人公の‟すず”が広島市街に一人で出かけるシーンから始まる。
船に乗り、広島産業奨励館前の雁木(がんぎ)にたどり着く場景は広島市中心地特有のものだ。
(雁木:階段状の船着き場。川の水位が変わっても乗り降りができる工夫が施されている。)
当時、特攻隊員で鳥取県に住む祖父は訓練中に終戦を迎えた。
小学生の頃、夕食後に語ってくれたのを思い出す。
「山の向こうが光ってなぁ。あの時、山陰が守ってくれた・・・。」
‟あの日”が来る。
‟風に流され たどり着いた先で根付く”
‟すず”の人生が‟たんぽぽ”に比喩される。
とても良い映画を観た。
片淵須直(1960~)→wiki
映画監督、脚本家、アニメーション演出家。→interview
こうの史代(1968~)
漫画家、イラストレーター。広島生まれ。→wiki
のん:能年玲奈(1993~)
女優、ファッションモデル。主演:すず役
コトリンゴ:kotringo(1978~)
シンガーソングライター。2013年からキリンジKIRINJIに加入。担当はキーボード、ボーカル。
ザ・フォーク・クルセダーズ:The Folk Crusaders(1965~)
音楽制作集団。フォーク。
Pushim:朴 冨心・パク・プシン(1975~)
かなりイカス女性シンガー、大阪出身。
いま一番Liveに行きたいアーティストNo1。マジで!→HP
奥田民生(1965~)
ギタリスト、プロデューサー、シンガーソングライター。
ユニコーンを飼育している。
広島出身。カープファン。
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