7.4.13

”ものもうす”





とある、やること があって更新できませんでした。


お久しぶりです。


まず、どうぞ↓





 



http://www.youtube.com/watch?v=OmjJWUM8VcA&feature=player_detailpage






























また時代は巨大な地殻変動 浮足立つ輩 まるでイベント

あの吊るし上げは誰が煽動 誰が卑劣漢 誰が守銭奴

誰もがお互い指さして「バカ!」 さもなきゃもっと弱いのから奪うか

誰かの尻馬乗っかってばっか 君も誰かを裁くか





























『RHYMESTER』(ライムスター)を観に行ってきた。


昨日、学校の友達S君と観に行った。



初めてのHIPHOPのLIVEなので客層がこわいお兄さんたちばっかりだと想像していたが、純粋な音楽ファンの方たちでほっとしました。


ライムスターをご存じだろうか。



宇多丸(Rap)、Mummy-D(マボロシ, Mr. Drunk: Rap/ Produce)、DJ JIN(breakthrough: DJ/ Produce)からなるヒップホップ・グループ。

別名「キング・オブ・ステージ」。 (公式HP引用)



ジャパニーズ・ヒップホップの重鎮である。




なぜ、このボンクラがライムスターを観に行ったかというと、TBS Radio『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』のリスナーであり、宇多丸さんのファンだからである。

それが入口で、ライムスターを聴いて一気にハマった次第だ。




なぜハマったか、 それは最高にカッコイイからだ。

何よりロックだからである。


なぜHIPHOPなのにロックなのか。なぜバンドじゃないのにロックなのか。という疑問には、説明して理解するとかそういう問題じゃないので難しいが、ロックがバンドである定義なんてないのだ。



ただ、そこらへんの空疎な言葉を垂れ流す、ひょろひょろもやしっこバンドよりは圧倒的にロックだ。



それは、”物申す”な精神があるからだと思う。

それは表現としての反抗のことで魂の部分でロックという音楽と本質的には同じだ。

その表現方法が、日本語ラップであり、ヒップ・ホップであるだけの違いなのだ。

だからハマったのである。





”物申す”な精神とは、主流な風潮を疑問視し、対する発言や表現をすることである。


それは「覚悟」を必要とする。


”物申す”ことがいかに覚悟がいるか、本音を打ち出すことがいかに勇気がいるか、それをやる人たちは自分の心に聞いて正しいと思うことをやっている。

周りの意見なんてのは、最初から彼らは解っている。

それはいずれにせよ批難を受けることになることを彼ら知っているから。




しかし、それを覚悟して表現している表現者に間違いはない。




なぜなら、確かな知識と先人たちに対してのリスペクト、何より”好き”という思いが伝わるものだからだ。





既存の体制的な文化に対抗する文化を「カウンター・カルチャー」という。







ライムスターは『ローリング・ストーン日本版 2月号』のインタビューで「日本語のポップスの歌詞の可能性」についてこう語っている。




宇多丸 「日本語のポップスの歌詞の可能性みたいなのって、それこそカウンター・カルチャーってのに絡めるんだったら、70年代のフォーク全盛期は皆さん本当にいろんなこと歌ってたわけでしょ。    

あれがある意味、日本のカウンター・カルチャー期だったんだろうけど、それがその後の日本のポップ・ミュージックにあんまり反映されていない気がする。

特に80~90年代を通して、歌というのはキレイなことを歌うもの、という意識が固定されてしまった。

欧米だと大昔にクリアされている問題がこっちでは実は未解決というか。日本だと戦いの歴史っていうのが、すごく断絶しちゃってるのかなと。

      
     
      
    

フォークで歌ってた内容とか若い人は知らないと思うし。それこそ泉谷しげるは職質の歌を歌ってたとか。今だったらハードコアな若いラッパーがそういう曲を歌っててもおかしくないわけで」


「ポップ・ミュージックとしてではない。要は70年代にやってたことが次世代のポップ・ミュージックの基準になって、そこから進むべきだったのに、むしろ断絶しちゃった。結果として、他の日本語を使ったエンタテインメント全般と比べても、音楽の歌詞だけが妙に生温かい基準のまま取り残されちゃった感じが僕はしてます。

ホントは『え? この程度の内容なんて今どきフツーでしょ?』みたいになっててほしいんだけど。そういう世界基準との違いの問題もあると思う。

あとはほんとにガラパゴスを徹底させるかだよね。だったらももクロとかのほうが可能性あるかもねって。

まぁそんな難しさがありやすよね」


「マ○コ」ぐらい平気で歌に入っているようになっていてほしいなぁ。

もちろんゾーニングはある程度きちんとやるにしても、そういう歌もありうるんだ、くらいはみんなに思っててほしい。

でも、日本だとそういう表現を巡る闘いみたいな段階にすら行っていないわけで。
      





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・











「何かがおかしい」




こんな疑問を感じたことは誰にも一度はあると思うが、そこで深くその疑問を追究し、自らの限界内にとどまらんとする人たちと、そうでない人(思考停止)してしまう人がいる。


根っからの表現者というものは前者である。


それが音楽家であったり、芸術家であったり、作家であったり、表現方法は様々だ。




”物申す”ことがいかに覚悟がいるか、本音を打ち出すことがいかに勇気がいるか、それをやる人たちは自分の心に聞いて正しいと思うことをやっている。





と、繰り返すがいつの時代も本質的なことを表現(体現)しているのはアウトサイダーな人たちだ。



カウンター・カルチャーを体現したアーティストでBOB DYLAN (ボブ・ディラン)がいる。


ボブ・ディランは1965年にニューカッスル・アポン・タイン(イングランド北東部、タイン川河口近くに位置する工業都市)でこう発言している。







「ぼくは懐疑的な人間ではない。

ただ、他人が信じるよう勧めてくるものの中に、信じられるものが見つからないだけだ。」




・・・・・・・・・・・・・と。







新しいものやオリジナリティというものはこういった表現者からしか生まれない。


だからボンクラはそっち側に寄り添いたい気持ちになるんですのよ。


たぶんそれは自分とは違うからだと思う。 自分には超人的な直観力や天才的な感性は無いと知っているから。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





ライムスターの記事を読んでまたひとつ、繋がった気がした。





それは大好きな作家『中島らも』さんが述べたことと、内容は違うが核の部分では同じことを言っていると感じたからだ。


その危険性についても・・・・・・。






本来雑誌に掲載されるはずだったが、編集部の意向で未掲載となった原稿で、らもさんはこう述べている。



 
 


「逃げるのか、闘うのか、もしくは逃げながら闘うのか、これを読んでいるあなたは腹を決めなければならない。

俺はもうとっくに姿勢を調えている。 天皇の発言から便所の落書き「オマンコしたい」に至るまで、全ての言語の解放を。

言語をすりかえるのではなく、言語が創り出す世界、世界そのものの変革を。

自由を、話す自由、生きる自由を。 LET ・ IT・ ROCK。



 
 清志郎がやっていた偉大なロックンロール・バンド「RCサクセション」の昔のライブ・ビデオをこの前引っ張り出して観てみた。

派手な化粧をして髪の毛をおっ立てた清志郎はマイクに向かって絶叫していた。





 
  ほんとのことなんか言えない
  ほんとのことなんか言えない
  ほんとのことなんか言えない
  ほんとのことなんか言えない
  
  言えば殺される               (タイトル『言論の自由』) 






そう。その通りなのだ。

北朝鮮から帰ってきた人達が皆、必死で言葉を選んでいるのにお気付きだろう。

北朝鮮も日本もアメリカも、本質的にはなんの変りもない。

この世界はそういう世界なのだ。殺し屋が支配している。

ほんとうのことを言ったためにいったい今まで何人の人間が殺されてきたのだ。

いいかい、おれはあなたに言っているんだ。」    




・・・・・・・・・・・・・・・・・・




らもさんは、これらの文章を書いた数年後の2004年7月26日、酔って階段から転落死した。 享年52。











筋肉少女帯のヴォーカル、大槻ケンヂもこのように発言している・・・・。






「世界は、遊びとはいえない殺し合いのようなキャッチボールなんだ」---。








・・・・と。









最後に東日本大震災の次の日に放送された11/03/12 ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフルで初めに宇多丸さんが、



「人間なめんな!」



と、『Choice Is Yours』 した非常にタイムリーで感動した曲で終わろうと思う。


(この日の自主規制なしの放送は本当に感動しました)







*PCでないと表示されないようです↓

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=cLCULgL8bLY







                         『そしてまた歌い出す』 





♪ 今やもう「歌っている場合じゃない」んだそうだ 悲惨な世界前にしてあなたは問う

 「歌ってる場合じゃない」世相なのかも知れんと口ごもりただ戸惑う

 確かにあの優しい旋律 かき消すほど やかましい現実

 飛び交う銃声と噂話に対してなんて無力な憂さ晴らし

 要は無駄か この歌と言葉は どうも疑いがち 利口な大人は

 だがおれに言わせりゃ だから出番 大けが上等なバカだけが

 でっかい賭けにまたいづれは勝つ もしくはその日をいつまでだって待つ

 先人たちのように背筋伸ばす 古臭い悲観を全部吹き飛ばす


 あなたこそ現にそうしてきたはず かつてオレを救った奇跡のヴァース

 そのバトンを次の誰かに渡す チャンスを信じてまた奮い立たすから

 歌ってる場合ですよ どんな時代だってこの世に人がいる限り

 歌ってる場合ですよ あなたもやめないさ きっと声続く限り  ♪














おあとがよろしいようで。




































泉谷しげる (1948~)

日本のシンガーソングライター(主にフォークソング)、俳優、タレント。





 
 
ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941~ )は、アメリカのミュージシャン。
 
 
 
 
ザ・バンドとのライヴ・アルバム『Before the Flood』は名盤です。↑




 
中島 らも(なかじま らも、1952年 - 2004年)は、兵庫県尼崎市出身の小説家、戯曲家、随筆家、俳優、コピーライター、広告プランナー、ミュージシャン。
 
 
『今夜、すべてのバーで』:講談社
 
毎年秋に読み返したくなる良い小説です。
 
 
 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿