「ハリウッドは相変わらずドリス・デイとロック・ハドソンがいちゃつく能天気なラブ・コメディを作り続けてやがった。外では革命が起きてるってのに!」
デニス・ホッパー
1969年。
東名高速が全線開通し、東大安田講堂で全共闘と機動隊が攻防戦を繰り広げ、「水戸黄門」「8時だョ!全員集合」が始まった年。
アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たし、ウッドストックが開催され、ジャック・ケルアックが死に、マリリン・マンソンが生まれ、「明日に向かって撃て」「真夜中のカーボーイ」、そして「イージー・ライダー」が封切られた年。
泥沼化するベトナム戦争、ラヴ&ピースを掲げる若者たち。老朽化した体制にノーを突きつけるカウンター・カルチャーの勃興。
「疎外された魂の遍歴」とでもいうべきものはハリウッド映画でも定番のモチーフであり、そこから「自立そして孤立を選ぶ」勇気は称揚される。
ズバリ、「自由」って何なのよ!
・・・・・・・・・・・・・・・60年代後半から70年代は「社会不信」の時代であった。
64年のケネディ大統領の暗殺で、政治家とマフィア、軍事産業との癒着、CIAやFBIの陰謀などが浮上し、国民は政府を信用しなくなった。
差別され続けた黒人たちはデモを繰り返して平等を求めたが、警察は無抵抗の彼らを暴力で弾圧した。
ベトナム戦争が始まり、米軍はナパーム弾で女子供を容赦なく虐殺した。学生たちは反戦デモで抵抗したが、やはり警官に粉砕された。
若者たちは結論を出した・・・・
「今のアメリカを支配しているものは全部クソだ」。
すなわち、政府、企業、警官、法律、モラル、キリスト教、家族、大人。「30歳以上を信じるな」を合言葉に若者たちの反乱が始まった。
髪を七三に分け、背広にネクタイで社会の歯車になる男、
平凡な専業主婦に納まる女は「スクウェア(堅物)」と呼ばれて軽蔑された。
逆に髪を伸ばして学歴 → 資本主義社会からドロップ・アウトすることが「ヒップ(かっこいい)」とされた。
ヒッピーになった彼らは、マリファナやLSD、フリー・セックス、それにサイケデリックなロック・ミュージックで自らの既成の価値観から解放しようとした。
すべての権威に「NO」を突き付けるこの文化的暴動は、"カウンター・カルチャー"と呼ばれた。
政治、ファッション、音楽、すべての分野にカウンター・カルチャーは展開し、アメリカ、いや世界中の若者を巻き込む巨大な渦と化していった。
たった1つ、ハリウッドを除いて・・・・・。
当時のハリウッドには、若者を満足させる映画は1つもなかった。家族そろって楽しめるミュージカル、歴史物超大作、西部劇。
当時のハリウッド映画はどれも時代や社会と関係のない、絵空事だった。そこには、セックスもドラッグも黒人も存在しない。一滴の血も流れない。
しかし、テレビをつければ、ブラウン管ではベトナム戦争で頭を撃ち抜かれて噴水のように血を流して死んでいくべトコンの姿が放送されている。街に出れば、黒人のデモに警官隊が催涙弾を撃ちこんでいる。公園に行けばマリファナの煙が流れてくる。サイケデリックなロックに興奮したヒッピー娘が上半身裸で踊っている。
こんな日常で誰が、お子様ランチみたいなハリウッド映画に金を払って観るだろうか?
ワーナー・ブラザーズ、20世紀FOX、コロムビア、ユニヴァーサル、パラマウント、「メジャー」と呼ばれる映画会社のすべてが倒産寸前に陥った。
比喩でもなんでもなく、文字通りハリウッドは「死に体」だったそうだ。
原因は、
「ヘイズコード」
「赤狩り」
「老害」
1922年にハリウッドは「ヘイズ・コード」という自主規制を自ら作った。それまで「映画は風紀を乱す下品な見世物」と批判されてきたからだ。
セックスやドラッグ、暴力の描写を禁じた。
法律を破ってはいけない、太ももの内側を見せてはいけない、レースの服は駄目、死人を映すな、薬物を映すな、アルコールは駄目、銃を向けては駄目など法律で表現を規制した。
「ヘイズ・コード」の風刺画
ソ連との冷戦下で、ジョセフ・R・マッカーシー上院議員がアメリカ国内のアカ(共産主義者)を弾圧した事件である。
(詳しくは前々回の投稿でどうぞ→) http://boss-georgia-wonda.blogspot.jp/2013/07/johnny-got-his-gun.html
社会や政治への批判を映画の中に込めただけでアカと決めつけられ弾劾された。そのため、ハリウッドは政治や社会に触れることを避けるようになった。
もう1つの原因は「老害」だ。
ハリウッドの大手映画会社はどこも、依然として創立者が実権を握っていた。どんな映画を作るか、どのシーンをカットするか、すべて老人が独断で決めていた。
現場もひどかった。どの映画会社も新規採用はいっさいしなかったので、60年代にはスタッフの平均年齢はなんと60歳を超えていた。
その年ではセックスもドラッグもできないし、ロックンロールなんてもってのほか。
彼ら老人たちはスタジオのセットに閉じこもって、伝統工芸のような古臭い映画を作り続けていたのである。
以上の当時の時代背景から、作り物、見せかけ、インチキ、醜い現実に目をつぶって幸福なふりをする、ひいては夢物語を捏造し続けるハリウッドに "表現の自由" はなかった・・・・。
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1967年9月、ピーター・フォンダは焦っていた。このまま自分は終わってしまうのか。バイカー物で、なおかつ真面目に評価される映画はできないか? 夜中の3時にそれを思いついたピーターは早速デニス・ホッパーに電話した。
「2人でバイカー映画を作ろう。僕がプロデュースするから監督してくれ」
「OKだ。これでクソッたれのハリウッドにほえづらかかせてやる!」
このピーターとホッパーが後に、「ニューシネマ」の金字塔 『イージー・ライダー』 (69年)を生み出すのである。
2人は映画の外でもハリウッドの不良俳優だった。
ピーター・フォンダの父ヘンリー・フォンダは女癖が悪く、ピーターの母はそれを苦に自殺した。10歳だったピーターは、母の後を追って自分の腹を撃った。父を憎んだ彼は、しかし父と同じ俳優になってしまった。
だが、父を象徴するハリウッド体制に反発し、バイクやドラッグにのめり込んでいった。彼はロック・ミュージシャンとも親交を深めた。
デニス・ホッパーは『理由なき反抗』の不良少年役で俳優デビューし、ジェームズ・ディーンの公私にわたる弟分となったが、兄貴分であるディーンはスポーツカーで激突死してしまう。不良路線をやめたハリウッドにホッパーの居場所はなかった。
『OK牧場の決斗』(57年)などの西部劇に出演するが、そこでは「反抗する若者」はただのチンピラ扱いだ。
不満だらけの彼は『エルダー兄弟』(65年)の現場で西部劇の大御所ヘンリー・ハサウェイ監督と衝突し、メジャーからホサれてしまう。
ハリウッドに捨てられたホッパーはAIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ・・・・ドライブイン向け配給会社の最大手)の暴走族映画で糊口をしのいでいたが、酒とドラッグの溺れて荒れ狂い、妻に愛想を尽かされていた・・・・・・・・・。
・・・・ピーターとホッパーが考えたのはロサンジェルスに住む2人のスタント・ライダーの話だった。
ワイアット(ピーター)とビリー(ホッパー)はスタント・ショーのバイク乗りだったが、アコギなマネージャーに怒って仕事を辞めた。 そのシーンは撮影されたが編集でカットされた。
スタント・ショーでのワイアットの芸名はキャプテン・アメリカ。 ライダースの背中とヘルメット、それにチョッパー(バイク)のタンクには星条旗が描かれている。
テンガロンハットにバックスキンのジャケットというカウボーイ・スタイルのホッパーの役名ビリーは、無法者ビリー・ザ・キッドを思い出させる。
ワイアットとビリーは、西部開拓者が来た道を西から東へと逆に進むことで、自由を求めて作られたアメリカという国の現在を見ることになる・・・・・・・・。
『イージー・ライダー』の冒頭はワイアットとビリーがメキシコでコカインを買うシーンから始まる・・・・
そしてバイクにまたがったワイアットは腕時計を投げ捨てる・・・・時間と労働に追われる「近代」からの「ドロップ・アウト」だ!
"もう彼らを縛るものは何もない"
・・・・このあと2人は長髪のせいでモーテルに泊まれず、金はあるのに野宿するハメになる。以降、2人はまともな宿にはありつけない。
アメリカはこの2人を拒否し続ける。
ヒッピーのコミューン(地方自治体の最小単位で日本では村の集落みたいなもの)に入ったワイアットは、自然の中で生きる彼らに共感し、定住を考えるが、ビリーは彼らの禁欲的な生活になじめない。
テキサスの田舎町でパレードに参加した2人は逮捕されるが、留置所で出会った "弁護士ジョージ" (ジャック・ニコルソン)に釈放してもらう。
「君たちがなんで逮捕されたかわかるか? 髪の毛が長いからだよ」
ジョージは名門大学を出た真面目なインテリだが、黒人の権利のために戦ううちに、アメリカに絶望し、酒に溺れるようになった。
ジョージはワイアットたちの "マルディ・グラ"(ルイジアナ州ニューオーリンズで開かれる、リオのカーニバルなどと並ぶ世界で最も有名な謝肉祭(カーニバル)のひとつ。)行きに参加するが、始終ウィスキーを飲み続けている。それを心配して、ワイアットはマリファナを渡す。 初めてマリファナを試したジョージは言う・・・・
「もっと前からやってりゃよかったのにな」
これはハリウッド映画史上初めてドラッグを肯定したシーンだそうだ。ちなみにこのシーンでニコルソンたちは"本物"を吸っている。
途中、 "モニュメントバレー" を通るシーンがある。
3人のバイクはディープ・サウス(アメリカ最南部)に入っていく。畑の中に「シャンティ」と呼ばれる貧乏な黒人の住むあばら家が並んでいる。彼らの生活は奴隷時代と変わっていない。
町の中に入ると今度は黒人の姿が見えない。小さなカフェに入った3人を地元の男たちがジロジロ見つめる。彼らは典型的なレッドネック(貧乏白人)だ。
「あんな髪の長い男は見たことないぜ」
「カルトってやつか」
「オカマ野郎は婦人用のブタ箱に入れてやろうか」
このシーンに登場するレッドネックたちは全部、地元で集めた「本物」だ。ハリウッドが隠してきた、醜い白人たちの素顔だ。
長居するわけにはいかない。保安官が睨みをきかせているからだ。
水も飲まず、逃げるように町を出る3人を見ながら1人のレッドネックの親父はつぶやく。
「生きて郡境を越えられると思うなよ」
3人は野宿しているところを襲われ、ジョージは殴り殺される。このシーンは黒人解放運動の協力者としてミシシッピーを訪れた白人学生を保安官が闇討ちして殺した事件をモデルにしている。
ジョージは死ぬ前にこう言っていた。
「連中は君たちを恐れているんじゃない。君たちの長い髪が象徴するものを恐れてるんだ。この国では"個人の自由"が国是だが"自由な個人"を見たとき、自由でないものはそれを恐れ、憎むんだ」
ビリーはジョージの行きたがっていたニューオーリンズの娼館にワイアットを連れていく。女を抱く気になれないワイアットは、娼婦マリーとともにマルディ・グラで賑わう町に出て、基地でLSDを服用する。
LSDでトリップしたワイアットは聖母像に抱かれて泣き始める。ホッパーはピーターに「自殺した君のママへの気持ちをぶつけろ」と命じたが、ピーターは「僕のトラウマを利用するのか」と拒否。一日がかりの説得に折れたピーターが「ママ、死ぬなんてバカだよ。大嫌いだよ」とむせび泣いた。
それは演技ではなかった・・・・。
ニューオーリンズを後にしたワイアットはポツリとつぶやく。
「・・・・・しくじったな」
「なんで?オレたちゃ金持ちだぜ!」
「俺たちはしくじったんだよ」
走る2人のバイクに一台のトラックが近ずく。首にコブのある農民(彼も地元のガソリン・スタンドでスカウトされた素人)がショットガンを向けて言う。
「おめえら、なして髪切らねえだ?」
ショットガンが火を吹き、ビリーは撃ち倒され、ワイアットのチョッパーは爆発する。キャプテン・アメリカの姿は見えない。カメラは天に召される彼の視線のように、燃えさかる星条旗柄のタンクから空高く飛び上がっていく。大きな河が見える。ロジャー・マッギンが歌う『イージー・ライダーのバラード』が聞こえる。
「俺はただ自由になりたかっただけ。その結果がこれだ。河よ流れよ。流れて俺を連れていけ」
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・・・
69年7月、『イージー・ライダー』はコロムビアから配給され、アメリカだけで製作費の40倍に当たる1900万ドルを稼ぎ出した。
もはや、ハリウッドは降参するしかなかった。どんなに金をかけた大作よりも、若造の素人映画に客を取られてしまうのだから。わしら老いぼれには、もう何を作っていいのかわからん。若い奴らにやらせるしかない。
そして、次々と型破りな傑作が生み出されていった。『真夜中のカーボーイ』 『ゴッドファーザー』 『チャイナタウン』 『タクシードライバー』 『アメリカン・グラフィティ』 『JAWS/ジョーズ』・・・・・・。
70年代前半のハリウッドは、経営的には史上最低だったが、作品の質的には史上最高の黄金期を迎えるのだった。
しかし「ニューシネマ」そのものの前途は多難だった。それは既成の価値観への異議申しだてとして作られていたからだ。
「ニューシネマ」とカウンター・カルチャーは資本主義、キリスト教、戦争、人種差別、家族、親、大人に「NO」を唱えた。
しかし、「では、代わりにどうするか」という答えを見つけられなかった。
だから「ニューシネマ」は常に反逆者の敗北で終わる。
それはいつも「めでたし、めでたし」で終わるハリウッド風ハッピー・エンドへの抵抗でもあったが、現実の若者たちの挫折感をも反映していた。
アメリカン・ドリームの呪縛から、ハリウッドのプラスティック(作り物、見せかけ、インチキ)な夢から、アメリカ映画は卒業した。
俺たちは自由だ。しかし自由とは、頼る当ても信じられるものもない荒野で転がる石にように風に吹かれ、見えない明日をみつめることだった・・・・・・。
・・・・・・「イージー・ライダー」を観たのは高校1年の時だったと思う、「衝撃だった!バッド・エンドに・・・・・それに何か背景があるなと・・・・何よりカッコイイ!超カッコイイ!」と思った。
「絶対、でかいアメリカンに乗る!」と決めた。
さすがにチョッパーやホットロッドは難しかったので同時期に観た、「イージー・ライダー」の影に埋もれがちなニューシネマの傑作「グライド・イン・ブルー」の影響で白いアメリカンを買った。
1973年 『グライド・イン・ブルー』
これらの映画の舞台、ROUTE66、コロラド川、モニュメントバレーなど、何か魅かれるものがあった。死ぬまでに行きたい!と思った。 高校当時はその程度だった。
その後、いろいろなんやかんやあって、いろんなものを観て、経験して、今に至るわけですが。
やっぱり自分にとびぬけた才能がない「弱い」ことがわかってきて、かといって内側に閉じこもるほど自分の心を閉ざす(見なかったことにする)こともできなかったのですのよ。
だからこそプレイヤー側に魅かれる。寄り添いたいという気持ちは一生変わらないと思う。なぜならいつの時代も彼らは"正直"で"正しく","かっこいい"からだ。
『カーズ』2006年
ROUTE66の田舎町を描いたピクサー映画『カーズ』のジョン・ラセター(監督・脚本)はROUTE66を訪れた経験をこう語っている・・・・・
「この時出会った人たちや体験した数々のすばらしい出来事は、キャラクターや背景など随所に生かされている。
そういった描写は机に向かうだけでは浮かばないものだ。その場に身を置くからこそ真実味が出る。
何物にも代えられない体験だったよ。」
・・・・・・・・・・・・と。
気持ちがブレそうになったとき、いつも奮い立つことができるのは、"こういった人たちの存在があるから"だ。
「間違ってない」と心底救われるからだ。
そしてジャック・ニコルソンはその後、『カッコーの巣の上で』 で怒りの"病院生活者"(誰の為でもなく、ひたすら自分本位の自由を求める男)を演じた。
『カッコーの巣の上で』1975年
彼は主役でありながら、英雄でもなく、人格者でもない。人間の誇りと尊厳を、"ひとりよがり"という手段で表現した悲劇の男だ。
ジャック・ニコルソンは言う、
「俺はやるだけやった。お前らと違ってな」
「今の待遇に文句を言ってるくせに、行動起こす勇気もないのか」
馴れ合いばかりの学校生活を続けている自分に、この言葉の刺さり具合と言ったらなかった・・・・。
”もう自分は若くない”なんて強がりながら、本当は無茶してる連中が羨ましいんじゃないか?
妙に悟りきったような奴、そいつは年齢とは無関係に老人だ。
指をくわえてるだけじゃ、欲しい物はひとつも手に入らない。
何とかしてみろ、口だけの奴は最悪だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と。
・・・・・・・・・・
・・・・・
・・・
では明後日ココ↑に乗って走ってきますよ!
映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION) [単行本] 町山 智浩 (著)
今回の投稿内容のイージーライダーや時代背景の大部分がこの書籍のコピペです。こんなブログの何倍も明晰な深い内容が書いてあります。正直、こんなブログ見なくていいから急いでこの本を買いに行って下さい。名著です!
今回の投稿内容のイージーライダーや時代背景の大部分がこの書籍のコピペです。こんなブログの何倍も明晰な深い内容が書いてあります。正直、こんなブログ見なくていいから急いでこの本を買いに行って下さい。名著です!
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