9.1.14

comedian








 
 
 

「俺の楽曲の歌詞が女性をバカにしてるって? バカ言うな! 俺の歌詞は男女平等にバカにしてるだろ?」





















これはフランク・ザッパの迷言だ。 そして全くもって面白いし、笑える

“ロック”と“お笑い”には通じるものがあって、それは『反体制の武器としての表現』であるところだ。

そして評論家の評価を振りきれてしまう、ある個人や団体を怒らせるとこまでいってしまうところも似ている。

毒舌で知られるスタンダップ・コメディアンのジョージ・カーリンは、1999年のパフォーマンスでこう吐き捨てた。 ↓


「子ども、子ども、子ども、子どもって、この国はそればっかりだ! 二言目には “子どもを助けよう”、 “子どもに救いの手を”って、 この野郎、俺が言いたいのは、 ガキなんかクソ食らえってことだ! ファック・ザ・チルドレン! クソッたれが!」



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ね?面白いでしょう!
 



 こうした発言は正しいゾーニングがあってこそのものだと強く言っておきたい。

しかし、こういうことを発言すると怒っちゃう人たちも出てくる。 良識ぶった思い上がりのある人たちだ。 

やっかいなのがこういう人たちが多いというところだ。 『表現』の敵はお笑いに限らずこういう人たちかもしれない。

世相を切ると大体批判が出てくる。 全く大変だと思う。 傷つくことも多いはずだ。

しかし、これらにつくづく共感を覚える人たちもいるのだ。 喜んでくれる人がいるのだろう。

どんな痛みも、客が喜んでくれれば消えてしまう。 それがショーマンの業なのだ。

映画や歌やお笑い、これら表現の素材は、差別、イジメ、心身障害、離婚、憎しみ、宗教、コンプレックス、児童虐待、ホームレス、マスコミ、金儲け主義、ファンの狂信、戦争、資本主義、殺人、孤独、裏切り、犯罪、麻薬、セックス、同性愛、核兵器、老い・・・・・・。

テレビの放送コードの枠から、そして世界に飛び出せばこれらいろんな問題が“笑い飛ばされていて”超面白い。


これらが面白く、説得力があるのには理由がある。


それはどれも表現者自身の生々しい体験や人生、身の回りの現実から絞り出されたものであるからだ。



『ハンバーガー・ヒル』 という映画がある。








『HAMBURGER HILL』 1987年



“ハンバーガー・ヒル”とは、丘のてっぺんに敵の重機関銃が十何台も装備され、登ってゆくアメリカ兵がハンバーガーのようにミンチされてしまう様子が由来だ。

中島らもはこのタイトルの由来について説明したあとのくだりにこう語っている。↓

「これは絶望に対して生まれたユーモアだ。兵士は常に死と絶望に圧殺されようとしている。このまま死の恐怖が続けば、自分は狂ってしまうかもしれない。狂気への恐怖もある。そういう状況で自分をキープしていくためには「笑う」しかない。

「ハンバーガー・ヒル」。 絶望が生んだギャグである。

しかし、それで笑いでもしなければ兵たちは「生」の方へ顔を向けることが出来ない。 生きるための唯一の手段が「笑い」なのだ。 したがって笑うことは生きることである。」



 

これは究極な“笑いの本質”かもしれないが、一昨日観に行った映画『ゼロ・グラヴィティ』では、主人公のサンドラ・ブロックが宇宙に独り孤独の中、笑って自分を奮い立たせていた。



 
『  Gravity 
 
 
 
 
 
 
 


「笑っていいとも」が今年で終わる。 俺が楽しみなのは「いいとも」の縛りから解放されたタモリが海外を旅する番組を観ることだ。



 

『タモリ論』 著:樋口毅宏 新潮新書


「タモリ論」の中に印象に残っている発言がある。

それは、著者が佐々木教という人物に直接タモリに会った時の印象を聞いた場面だ。

佐々木教を著者は、「見識と洞察力は並みの人間レベルではなかった。周囲の熱病に同調することない知性を持つ人でした。」と評している。 ↓


「タモリってどんな人でしたか?」

特段、深い意味があったわけではなく、会話の流れから訊ねただけでした。しかしその返答は予想外のものでした。

サングラスの奥の黒眼がギラリと光りました。 教さんはこう答えたのです。

「ああ、あの人はな、可哀想な人だぞ。 恐ろしく孤独な人だ、あのタモリという人は」






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らもさんは、笑いとは「差別」だ。こう言いきってしまおう。 とも言っている。




黒人コメディアンのW. カマウ・ベルがホストのコメディ・ショウが「トータリー・バイアスド・ウィズ・W.・カマウ・ベル」。


 
 

番組タイトル「全く偏見に満ちた」が示すように、人種、政治ギャグが大勢を占める。

人種差別で不当な裁判となった事件について、W.カマウ・ベルはこう投げかける。↓






「陪審員が白人ばっかりだからだよ! サミュエルLジャクソンを4人くらい混ぜておけばよかったのに!」

 




 Samuel Leroy Jackson ↑








アメリカで活躍する日本人コメディアンがいる。



 
 


 小池良介さん47歳。


1967年 愛知県生まれ。
1986年 関西大学入学と同時に社交ダンスを始める。
全日本学生社交ダンス大会で準優勝。
大学卒業後はプロに転向。

1993年 世界一を目指して25歳で渡米。
カリフォルニア州大会で準優勝するも、英語が話せなかったためダンスパートナーと十分な意思疎通ができずあっさりと現役を引退。

マジシャンに転向。
転向の理由は「英語が話せなくてもできるから」
転向後半年でプロマジシャンのライセンスを取得するも1年で活動をやめる。

コメディアンに転向。
「マジシャンは道具に頼っているから体ひとつで勝負したかった」
2003年 全米放送のテレビ出演を果たしプロデビュー。




エピソードについては、しゃべり一本で笑いをとっているにも関わらず、
今47歳の小池さんが英語を真剣に学び始めたのは、30歳を過ぎてからだそうだ。


もともと英語は得意ではなく、最初はほかのコメディアンが舞台で何を言ってるかも分からなかった。テープにとり何度も聞き返す。英語学校、通信教育。よいと言われることは何でもやった。と語っている。

28歳のとき両親の願いを聞いていったんは帰国、当時は合格率6%だったという社会保険労務士の資格を取得するが、「ここは自分の居場所ではない」と再度来米。

・・・・・・面白いしすごい人だ。きっと行動力やバイタリティが飛びぬけた人なのだろう。

小池良介さんのアメリカでの名はRIO KOIKE。

これは英語ではRyoが日本語通り発音できないからなのだそうだ。



小池良介さんは笑いについてこう発言している。 ↓


コメディーは最もシンプルなパフォーマンスで漫才と違い相方も要らず、楽器などの道具も用意する必要がなく、ただ決められた時間をエンターティンし、ダンスと違い肉体的限界を理由に引退もありません。


 





お金をもらって笑わせるにはそれなりに高いレベルの構築的ジョークじゃなきゃいけないんです。結論を最後に持ってくる日本人思考パターンはそれに合ってると思います。

 
 





ステージでほかのコメディアンから「長いぞ!」とか「引っ込め日本人!」って言われることもあります。しかし、それをギャグにして返す強靱さがないとね。




 
 




これまで海外で日本のドラマやアニメは評価されてきたが、コメディーでのヒットはなかった。文化や言葉の壁に笑いで風穴をあける。それが次なる目標です。




 


 そもそも歴史的に見ても、コメディアンにはまずユダヤ系がいて、その後黒人、ラティーノ(米国に住む人々)と出てきましたけど、みんな虐げられてきた人種なんですよ。コメディーって、弱者の反発から生まれるものだから












                   





 
 
 


























かつてフランク・ザッパ自身が言っていた。




「失敗する恐怖に襲われて手も足も出なくなるのは、いつの時代も、自分は最高にカッコイイと自惚れてる人々だ。 駄目かも知れないという状況におかれるのが、彼らは我慢できないのだ」





 
 

  「どんなにバカなことをしていようが、それで人が笑ってくれるなら、オレはそれでいいのさ」








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全くもってかっこいいじゃねえか!(ザッパはコメディアンじゃねえけど)




















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